ミッドライフ・クライシスを越えて、僕らはやっと大人になれるのか。
ミッドライフ・クライシス。
そんなやつに、僕はどうやら苛まれているらしい。
糸井重里さんも最近「40歳は惑う」という特集を、
AERAといっしょにやっていた。
そして、やっぱりとてもつらい時期だったと語っていた。
会社に同年代があまりいなかったり、
同級生と会う機会も減っていたりするなかで、
そこへの対処みたいなものを、
なかなかうまくつかめずにいた。
無限のようにさえ感じていた人生の残り時間も、
折り返し地点を迎えたことで、
なんとなく実感値として感じられるようになって、
限られた時間の中で、まだまだやりたこと、
やっておきたいこともたくさんあって。
それでも、ひとりの大人として、社会人として、
まっとうしなければならない役割と責任みたいなものが、
大きく課せられている。
そして、それにたくさんの自分の時間と自分のお金が、
費やされていく。
もう少し若い頃は、
自分で稼いだお金と自分自身の時間は、
自分のためだけに使うのが当然だった。
言い方が少し悪いけれど、
それが、自分ではない人(家族とかいろいろ)のために、
当然のよう費やされていく。
そこに、なかなか慣れずにいるのかもしれない。
これまでこの世に生を受けてきた、
星の数ほどの人たちががほぼすべて感じてきたであろう、
この新たなライフステージにおける戸惑い。
まったくもって、珍しいものでもなんでもないんだけれど、
それでも、僕にとっては初めての経験で、
あまりに唐突で、まだまだ馴染めずいる。
加えて、家族のことについては、
人よりもやや多めに悩まされてきた僕にとっては、
自分の親に対する思いと、親としてあるべき自分、
その狭間で、きちんと落とし前みたいなものもつけなくてはならなくて、
しんどい時間が増えているのかもしれない。
もし家族を持つことをしていなかったら、
こどもを持つという選択をしていなかったら、
今ここにあるクライシス(危機)は、
もっとマイルドなものだったんだろうかと、
よく脳裏に浮かんだりもする。
こんないい歳をしたおっさんでさえ、
こんなことを思っているんだから、
かなり若い年齢でこどもを生むことになった人たちは、
もっともっと、苛まれるに違いないし、
もっともっと苦しむに違いないなと思う。
そして、それがまれに起こる幼児虐待のような事件へと、
つながってしまうのかもしれない。
だから、このクライシスに対処するために、
個人として最大限努力していくのは当然なんだが、
国とか家族とか友人とか、
社会がもう少しだけサポートをしてくれるといいのになと思う。
もしかしたら、このミッドライフ・クライシスというものは、
ほんとうの意味で大人になるための洗礼なのかもしれない。
そこを乗り越えた真の大人たちを羨望しながら、
今、それと戦っている人たち、
これから戦うであろう人たち、
いっしょにがんばりましょう。